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察し合う文化

日本の「細かく説明しなくても察し合える文化」を美徳とする考え方。

社会人になって、実家の母と話しているときのこと。
「あんたはごちゃごちゃうるさい」って叱られたことがある(*1)
しかも「昔はそんなふうじゃなかったのに」とか。

これ、おそらく仕事をするようになって身についた自分の癖のひとつだと思う。

自分が何を考えているか?
相手のアイデアに否定的なことを言うのはどんな理由があるからなのか?
“あなた”を否定しているのではないってわかってもらえているか?

同じ価値観、生活環境や人間関係のなかで生きてるなら、かなり察し合えると思う。
でも、そうじゃなかったら?

学生の頃は自分の箱庭のなかで過ごしていたから、共通の価値観や共有している情報がベースにあったので、かなり端折っても話が通じた。
もっと言えば「阿吽の呼吸」が成立していたんだと思う(*2)

でも、社会人になって、自分の過ごしてきた環境とは全く異なる世界で生活する人たちとやり取りするようになると、丁寧に話をしないと思いが伝わらないことがある。
きちんと誠意を持って考えているのに、誤解されてしまうことだってあった。
だから必要だと思えばくどくど話してしまう。
もちろん、もっと説明が上手になって、端的にわかりやすく伝えることができれば余計な回りくどさは不要なんだけど、なかなかそこにはたどり着けない。

歯切れよく、耳に心地よく、わかりやすい対話ができるようになりたいなぁ。


*1 冒頭の母との話は、親子なのにコミュニケーションが希薄になっている、っていう警鐘なのかもしれない。
  こんど帰省するときは、もうちょっとゆっくり話し合ってみようかな。
*2 阿吽の呼吸でコミュニケーションとれると気持ちがいいし、ムダを排する文化は素敵だと思う。
  ひとつひとつ、詳しく説明しないと伝わらないなんて、伝える方も聞く方も大変だしね。