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食べるということ。

今日はtwitterのタイムラインに流れてきたこちら(↓)のニュースについて。

女子高生が鶏を育てて解体して食べる 「命の授業」は残酷か?

2月24日に放送された『情熱大陸(TBS)』の舞台裏。
本放送を見ていないので軽々しく話すのは控えるべきなんだろうけど、思っていることをつらつらと。

今回のようなテーマにふれるとき、大学に通っていたころに辺見庸の「もの食う人びと」を初めて読んだときの衝撃を思い出す。
世界の各地で、人々がどんな生活をして、何を食べているか。本のなかでは日本で生活しているだけでは想像もできない食事が紹介されていて、胸が締めつけられた。
そして子どものころに母親から聞かされた家禽の屠殺時のこと(鶏は首を切ってもしばらく歩くことがあるらしい)、就職して乳業メーカーに勤めてから取材や撮影で出かけた牧場や養鶏場のオーナーから聞いた話なども。

もともと「食」に関する興味や関心が強く、普段からアンテナを立てていたから、という理由もあると思うけど、「食べものの起源(目の前の素材はどこから来たのか)」ということには折を触れて考える機会があった。
少し前には屠殺のワークショップをやっている女性のブログを見かけ、改めて考えさせられたりもした(*1)
ひょっとしたら、実家で食事するとき「ちゃんと『いただきます』って言って(感謝して)から食べなさい」と、しつけられていたことも、少しは影響しているかもしれない。

自分の価値観としては、話題になっている久留米筑水高校の先生の授業は残酷でショッキングではあるけれど、意味がないとは思わない。むしろ本来であれば、「ものを食う」人たちは全てその素材のルーツや自分の手元に届くまでの過程を知っておくべきだと思う(*2)。授業の受け手が「食品流通学科」の生徒ならなおさらそう思うし、同校が農業学校としてのルーツを持っているならば「家畜の飼育→屠殺→処理→調理までの流れを体験する授業」があることに違和感はないよ。

このニュースを読んだ人たちの意見に、「残酷」に対する(こころの)訓練をさせる教育方針はおかしい、とか、グロすぎて拒食症になったらどうするんだ、ってものがあったけど、むしろそういう配慮が「食べもの」に対する理解を浅くし、感謝の気持ちを薄れさせ、ひいては大量の食糧廃棄につながっているんだと思う(*3)

話が飛ぶけど、東京ガスのTVCMに出てくる「料理をつくることは、いのちにさわることだ」というコピーが大好きです。今回のニュースやそれにまつわる出来事が、多くの方にとって「いのちにさわる」きっかけになり、改めて考えたひとが一人でも多くいたら良いな、と思います。


*1 twitterでも紹介させてもらったことがあるけど(これとかこれとか)、このちはるの森というblogに出てくる彼女の経験をモニターを通して追体験することは色んなことを考えるきっかけになりました。
*2 そうはいっても、これだけ食べものがあふれている現代では「全ての出自を確認してから食べる」というのは難しいかもしれないけど。オレも理想を唱えるだけで、実際にはほとんどできていないし。
*3 引用先で「日本は命を無駄にしている食糧廃棄大国」という指摘があるけど、これはほんとに反省すべき点だと思う。大量生産・大量消費。様々な手法で需要を喚起し、「飢え」を起こしていく。だいぶ前に話した業界の姿勢の話も同じところに帰結しそうだけど、 やっぱり間違っていると思うのです。